よく被災地に向けてミュージシャンが歌を歌い、スポーツ選手がスポーツをしたりして勇気付けるという話を聞きます。それに対して本当に被災地の方を励ましているのかという疑問の声も聞きます。
そういう僕は小説を書いたり、ツイッターでイト姫のおバカなコメントをさせたりしていますけどね。
さぁ、被災地の方を励ますためのこの行為は正しいのでしょうか?
答えは……ノー(否定)ではなく、ノン(無い)だと思っています。
絶対に正しいものは、『無い』です。
僕は完全とか絶対なんて言葉は使わない人間ですからね。むしろそうでない方が、よりそれらしく本物に見えてしまうのです。
でも、正しいと思うことをすることはいいことだと思います。それがその人の精一杯のことだと思うので。
でもそういったものを、被災地の方が自分にとって必要だと思うものを選んで得させることは避難所の生活や、この現状で傷ついた心でさせるべきではないと思うんですよね。
きっと「そんなことしないでくれ」「余計に辛い」なんて考えの人もいるでしょう。
でも、僕は「励まされました」という心からの言葉のために、こういった励ましをするべきだと思います。
なんとなくテレビを見て、ラジオを聞いて、いつもは報道やうざったく思っていた励ましの言葉。
それがふと、その時、その瞬間だけは受け入れられる心になっているかもしれない。素直に受け取ることができるかもしれない。
きっと、そういうことって少なくないと思うんですよ。前回で言ったように、嫌なことから目を背けることよりも、良いもので癒されたいと思う心があるはずなので。
じゃあそういう励ましを必要としていない人のことは無視するのかということになります。
そこは励ますほうが感じてください。自分の励ましで傷ついている人がいると。
「ヒャッハー!超有名な俺様が歌えばみんな励ませるに決まってんだろー!」というのは無しで。
励ます方も、人を傷つけているかもしれないという、そういう覚悟の上で励ましてほしいですね。
だって励ます方も人間だもの。そりゃ~すべての人の心まで入っていくことはできませんよ。
完全や絶対ではない。だからこそ、一人じゃないんだと思いますね。
人が集まるから完全でないものを埋めることができるんだと思います。
最近、正しい報道か否かを考えながらテレビを見ていますが、それこそどれが正しいかなんて判別しきれないんですよね。
現場の中継も、現地の声を届けるのにはいいけれど、そうでない場合はイタズラに心を傷つけるだけですから。
だから、いいと思うことを今。個人個人でしていくべきなんだな、と思いました。
1円でもいいから募金しよ~ぜ~。
≪今日のイト姫≫
「ツイッターでわしの声を届けておるぞ。
ももこ殿もわしのイラストを描いて励ましておるしのう。
できることは少ないが、やれることも少なくない。
わしはそう考えておるぞ」