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ブログでああじゃないかこうじゃないかって論ずるけど、あくまで主観なことをここに誓います。
振り返ってみると、良いことと悪いことって悪いことの方が多く残ってたりしますよね。
どっちも平等に来るものだとしても、良い事は霧となって消え、悪い事は沈殿するものなのかも。
いや、何が言いたいかといえば、そうそう振り返るものじゃないな……と、ふと思ったり。
過去を振り返り、その反省をもって次に活かすべし。
……というのは納得できますね。そりゃあ同じ失敗したくないものですよ。
でもね。その過去を振り返るという行為も、ほどほどがいいと思うんですよね。
などと言うと、何を言ってるんだって言われるかもしれませんがね。ほどほどに、ということで一つ。
例えば僕なんかで言えば、学生時代にバスケをやってて右肩故障してます。
スリーポイントシュートはできなくなりましたが、それでもバスケはできます。
でも、繊細なオーバースローができなくなり、野球ボールをまともに投げることができないんですよ。
無論。普通に生活をする上で、肩に掛かる負担さえ気をつけていれば問題なく生活できます。
ただ、息子とキャッチボールする。なんていう、父親になった時の夢はもう叶わないわけですよ。
あの時に、無茶しなければ。すぐに医者へ行けば。リハビリすれば。と、振り返るばかりです。
そうやって振り返っても、出る結論はいつも同じなんですよね。→折り合いを付けて生活するべし。
そういうのを、ふとしたことがキッカケになったり、夜寝る前にモンモンと思い出してみたり。
それはきっと、心の弱さがそうさせるんだと思います。
心の強い人はね。きっと数回振り返ったらもう、ほとんど振り返ったりしませんよ。
振り返ることで次に活かすんだ。それができているんだ!……などとのたまっても、そんな過剰な振り返りは心の弱さを誤魔化しに過ぎません。
振り返って心の傷を突いて傷心して、いったい何になるのでしょうか。
そんなに振り返らなくてもいいと思うんですよね。
息子が野球をやりたいと言った時。投げることはできなくても、受けることはできるし。バッティング練習なら横で投げられますし。いざとなれば嫁さんに助力してもらえますし。
振り返って「あの時」を見るより、現在の「この時」、未来の「その時」にどうするかを見たいですね。
そりゃあ過去の不安が未来の不安になったりするもんですよ。
でも、そうやって不安に不安を繋げたって心を痛めるだけです。
そんな感じで見ないことも大事なのだと、ふと思ったので書きつづってみました。
もちろん。心の弱さを否定したいわけじゃないです。
弱い人間ほど振り返るから、振り返らないようにするのも大事なんじゃないかと思ったので。
強い人間は……そうですね。振り返った方がいい場面で振り返れていないことがあるのかも。
でも、心の弱いことが悪いことだなんて思いません。
それに、何を持って弱いなどと決め付けることができるでしょうか。
みんな弱いかもしれないし、みんな強いのかもしれません。
心が強いか弱いか。それだけで人のステータスを全て網羅できるものじゃありませんし。
だから振り返ってもいいんです。
ただ、過剰な振り返りで自身を傷つけたりして欲しくない。そう思います。
悲観的になりたいがために、振り返ってばかりいてほしくないんです。
まぁね~余計なお世話だと言えば、はいそうですって言ってしまいますがね。
でもその余計なお世話と言われるだけで、「あまり振り返るな」というメッセージが記憶の一部になってくれたらそれでいいかな、と思います。
ええ、もう。いくらでも言ってくださいよ。余計なお世話だとジャンジャン言ってください。
こんなんで誰かを救えるなんて思ってないですしね。
誰も言わないなら俺が言う。という、そんな程度の主張です。
僕の知る人たち。その人たちが過去を思い悩んでいる時に、僕が伝えたいメッセージです。
これはただの、何かしたくてもできない僕の。小さい悪あがきみたいなもんです。
振り返っていいだの。あまり振り返るなだの。
強い人間はこうするだの。弱いままでいいだの。
矛盾したことばかり言ってますが、それも全部把握してます。
だって全部ひっくるめて、人を受け入れたいんですよね。
長々と書きましたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。
なんのこっちゃというオチになってしまったらすみません。
「振り返るのもほどほどに」と伝えたかったのか主張したかったのかは自分でもわからんですw
メッセージってのは、……やっぱり受け取り手に委ねるものだと思うので。