ここから先の文章はひどく個人的な考えに基づいて書かれています。
読んでいて不快になられても責任は負えません。
ん~、まぁ文句は聞くだけ聞きますけどねw
それでもOKという方のみスクロールしてください。
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丁度一年前の今日。東北の大地震、大津波が日本にやってきましたね。
あの災害に多くの人が犠牲となり、心を痛めたと思います。もちろん、現在進行形でも。
今回は特にテレビによってたくさんのことが報じられましたね。
地震の情報、原発の情報、被災した方々の生活と心境。
去年のその日。ずいぶんと長い揺れを感じました。仕事場でもテレビ解禁ですよ。
ツイッターも開いたら誰もが揺れを感じていて、それが北海道まで広がったことでこの地震の大きさを知りました。
津波警報も日本の太平洋側が点滅していました。
この時はまだ、地震の大きさを表す映像ばかりだったんですよね。
地震のその後。いつものように津波の注意が呼びかけられ、いつものように地震直後の映像を流していました。
でも、その日がそんないつもと違ったんですよね。
リアリティのカケラもないくらいの津波が地面を飲み込んでいったんです。
津波の警報は出ていたんだから大丈夫だとか、ちゃんと避難したはずだとか、思うわけありません。
その場に僕がいたら、きっと津波をその目で見るまで逃げなかったと思います。
津波のことは一年前にもここで書いたしみんな知っていると思うのでこれで割愛しますが。
船や車、建物や街を飲み込んだその様は語りだしたら止まりませんね。
僕はそこで無事に生き延びたけれど、大きく生活が変わってしまった被災者の方のこと考えると胸が苦しくなります。
テレビにその光景が映るたび、目が離せなくなります。
避難所に家族がいないか探す人。一緒になって津波から逃げてきたのに流されてしまった人。
家を新しく建ててすぐに流されてしまった人。その日に挙式したのに新郎が行方不明。
探しに行きたくても放射能で行くことができず、未だ遺体も見つからない人もいます。
仏壇の前で涙ながらに語る人も。「本当なら俺が仏壇にいて、子どもが手を合わせてるはずなんだ」って。……それはもっとうんと先の話ですよね。
放射能があるからって売れなくて倒産したという話も。イジメに会う子どももいたり、引っ越しすら拒否されたり。
インタビューで「もう楽になりたい」なんて聞いた時は言葉が出ませんでした。
あの地震と津波があり、再興に向けて募金したりボランティアしたり、多くの人が何かしたいと思ったものですよね。日本に留まらず、世界中から支援を受けて。
たくさんの人が励まし続けました。
その一方で物はあるけど行き渡らせる手段がないとか、お金を住民一人一人に分けても千円未満だとか。
ボランティアにいってもすることがなかったとか、仮設住宅の暑さ寒さ対策などなど。
上手く行かないこともありました。
それも、まだまだこんなものじゃない。まだ悩み苦しんでいる人が大勢います。
ふと振り返ってみると、僕はいったい何をすることができたんだろうと思います。
少ない募金。わずかな節電。いつもの生活を送ることも大事だそうで。そのくらいでしょうか。
直接的にはきっと何もできていないに等しいんでしょうね。
それでも時は過ぎ、今日で一年。
街に元気を取り戻そうと動き出す住民の方々。僕は逆に元気をもらってしまいました。
テレビでぽつぽつとそういう活動が行われているのを目にすると、被災した方の凄さがわかります。
もちろん復興のための募金やボランティアも大事ですし、それがあってこそ復興です。
でも、おおもとの一番大事なところ。自ら動き出すことを選択したその心、精神力が何よりも大きく感じました。
人間ってすごい。本当にすごい。そう思います。
小さなことで争ったり、不信に思ったり、争いを好む人もいるでしょう。
暴言を吐いたり、人を陥れることに喜びを感じる小悪党もいる。
でも、そんなものはこれから立ち上がる人に比べたら小さい小さい。
そんなものは偽者です。本物はもっと大きく強い心を持っているのだと信じられます。
まだ一年しか経っておらず、一年前と何ら変わらないところもあります。
でも、それでも、確実に前へ進んでいるんです。それがとても嬉しいのです。
支援した人の心も、それを受けて立ち上がろうとする心も、どれも強く結びついているんだと思いました。
これからこの三月十一日はきっと語り継がれていくでしょう。
地震や津波、原発の話題をしても出てくるものだと思います。
この日に生まれた人や、この日を特別な日にしていた人には残念なことかもしれません。
しかし、一年経った今日。生まれる命もあるんです。
その子にあるのはこれからという希望と未来です。
それがまた来年、再来年と続いていけば、どんどん希望があふれてくるのではないでしょうか。
周りから三月十一日生まれじゃなくてよかったとか。
お前が生まれた日は人がいっぱい亡くなってるんだぞとか。
それも避けられないことかもしれません。
でも、何十年と時が過ぎて孫やひ孫の代になればそれもなくなります。
その代までに街が完全復興されていれば言うことなしです。
それくらい時間がかかるものだと思うので。
今はまだ両手を広げて迎えられる日ではないでしょう。阪神大震災にしてもそうです。
悲しい気持ちも、残念な気持ちも、悔いることも、それはいずれもやってくるでしょう。
しかし、この日生まれてくる命もあるんです。多くの人が望み、祝ってあげてください。
生まれてくる喜びには不謹慎なんてないはずですから。
僕の中でも、一つ変わったことがあります。
三月十一日は僕の大好きなお婆ちゃんの命日でした。
まだ現役で、ほんの少し、体調を悪化させたことで亡くなってしまいました。
もしもタイムマシンがあれば前日か前々日に、「この日は無理に仕事したりしないで、今からゆっくり体を休めてね」と言ってまだまだ動ける元気なお婆ちゃんにたくさん尽くしたでしょうね。
そう、もしかしたら電話で「体に気をつけてね」って言うだけで変えられた未来だったのかもしれません。
僕は今も、それが心の中に引っかかっています。(←もう泣きそう)
でも、もしもタイムマシンが一回限りのものだったら。僕は一年前の東北に向かったと思います。
それで僕を信じて全員が避難するなんてことは不可能でしょうね。
でも。もしも一回限りのタイムマシンがみんなの前にあったら。僕と同じことをする人は大勢いると思います。
「なんだ今日は未来人のバーゲンセールだな。お前さんも明日は津波が来るって言うのかい?」・・・と。
今回のことはそれだけ多くの人を動かすものだと思うので。
僕がそっちを選んでも、きっとお婆ちゃんも許してくれるでしょう。
突然、愛する人たちを残してこの世を去らなくてはならなくなったお婆ちゃん。
でも、その人生はきっといいものだったはずだから。生前の未練は綺麗になくなっているはずです。
何より今も尚、僕がお婆ちゃんを大好きなままですからね。生きている頃よりも今なら伝わっているはず。
よく遺体が見つからないとまだ探して彷徨っているとか、成仏できないなんて言われますよね。
でも今回の犠牲になった方たちは悔いも未練もあったかもしれないけど、ちゃんと成仏できたと信じたいです。
これだけたくさんの人が祈ったんですから、きっとそうですよね。
この日、命を落とした人、家族を失った人へ、哀悼の意を。
この日、今までの生活を失った人へ。一刻も早い復興を祈りを。
この日からこれまで、たくさんの支援や応援を送り続けた人へ、感謝を。
インターネットという空間の、極々小さなサイトのブログから送らせてください。
長々と失礼しました。最後まで読んでくださってありがとうございました。
≪今日のイト姫≫
「ひとりひとりができること。
多くの者がその心をもって刻んだことがたくさんあるじゃろう。
わしらは何一つ無駄にしないように生きていく。
ここにはわしらの家族や友人、居場所や故郷がある。
失ってばかりではない。生まれ続けるものなのじゃ」PR