武神の母
朝。目が覚めるとボロい木でできた天井が視界に入る。
あそこも直さなきゃな――と思いながら上体を起こした時、ピリッとした痛みが走った。
左腕に走る痛み。骨折してからだいぶ経つが、まだ治っていないらしい。
俺はまだ、ここにいなきゃならないようだ。
ベッドから降りて扉のところまでくると、ゆっくりと開けた。
パンが焼ける匂いがほんのりと通り過ぎていく。
台所には一人の女が立っていた。
竹蔵「朝食の準備くらいさせろよ」
俺の声に微笑むと、ゆっくりと顔をこっちに向けた。
??「せっかくタケゾーが帰ってきたんだから。何かしてあげたいのよ」
女の名前はモコ。そこそこ歳がいっている。
普通にしているが、視力はほとんど無い。
雨の中。崖から一人転落し、腕をケガした俺はこの家にたどり着いた。
俺のことを息子だと勘違いしている。
名前が同じなのもあるが、母親が間違えるくらいだ。よほど似ているんだろう。
だから左腕が治るまではそれに付き合ってやることにした。バレたらバレた時だ。
こんな風に思えるのも、どこか彼女から母親のようなものを感じているからかもしれない。
モコ「腕の具合はどう?」
竹蔵「大丈夫だ。順調に治ってきている」
モコ「そう?だったらいいのだけど……」
コンコンッ。
ふいに玄関の扉をノックする音がする。
??「たのもぉ~う!」
聞き覚えのある声。いや、間違うはずがない。
モコ「誰だろうね?」
竹蔵「俺の知り合いらしい」
モコ「タケゾーの?」
竹蔵「ああ。ちょっと出てくる」
急いで玄関の方へ向かう。
あの声とあの喋り方をするのは一人しかいない。
竹蔵「イトだろ」
扉を開けてそう言うと、案の定。そこにはイトとカオンがいた。
イトは俺を見るなり顔を崩して瞳を潤ませた。
イト「竹蔵ぉ~!」
カオン「竹兄ぃー!」
飛びつこうとするイトより先にカオンが俺に飛びついてきた。
いつものことだが、今は片腕が不自由だ。
バランスを崩してそのままドカッと倒れこんでしまった。
竹蔵「相変わらず過ぎるだろ、二人とも」
カオン「エヘヘヘ」
イト「こりゃカオン!そこは譲らぬか!!」
カオン「どこ~?」
竹蔵「それより、よくここが分かったな?」
イト「カオンの野生の勘はずば抜けておるから余裕じゃ!」
カオン「エッヘン」
そういえばどこにいてもカオンは俺たちの所に帰ってくるよな。
集合場所とか時間とかまったく決めていないのに。
イト「竹蔵こそ、ここで何をしておるのじゃ?」
竹蔵「見ての通りケガをしてな。ここで休ませてもらってる」
イト「ふぅむ。そういうことじゃったか」
モコ「タケゾー?何を騒いでいるの?」
あんまりバタバタしていたせいか、モコがこっちにやってきていた。
俺はカオンの肩に捕まって立ち上がるとなんとなく咳払いをした。
竹蔵「一緒に旅をしていた仲間がきてくれたんだ」
モコ「まぁ。そうなの?」
竹蔵「小さい方がカオン。旅先で出会ったんだが、今は俺の妹とかわりない」
カオン「カオンだよー」
モコ「元気な声。タケゾーはいい兄妹を見つけたのね」
カオン「うん!竹兄ぃ大好きだよー」
モコ「うふふ。そうなの~」
モコは嬉しそうにカオンの頭を撫でた。
俺を慕っているとわかって嬉しいのだろう。どこまでも母親だ。
竹蔵「で、こっちがイトだ。俺の――」
イト「嫁じゃ!」
モコ「まあ!そうなの?」
竹蔵「なんでだよ!」
イトは俺の口を両手で塞ぐとモコの方へ向き直った。
イト「竹蔵の妻です。この度は夫がご迷惑をおかけしました」
モコ「タケゾーの母でモコといいます。タケゾーがいつもお世話になって……」
イト「タケゾーの母?妙じゃな。竹蔵の母上は既に――」
竹蔵「っとっと!」
俺は慌ててイトの口を塞いだ。
竹蔵「イトとちょっと話がある。カオンはここで母上の相手をしててくれ」
カオン「竹兄ぃのおかーさん?うん!わかったー!」
俺はイトの腕を引っ張って家の外に出た。
家から少し離れたところでイトの手を離すと、イトを腕を組んで頷いた。
イト「そういうことか。竹蔵は目の見えぬモコ殿の前で息子を演じておるのじゃな?」
竹蔵「察しがいいな」
イト「時間の都合じゃ。で、じゃ。いつまでこうしておるつもりじゃ?」
竹蔵「俺はあの時に左腕を痛めた。とりあえずはこの腕が治るまでだな」
このままじゃ満足に刀も振ることができないはずだ。
イトは怒った顔で俺に詰め寄ってきた。
イト「腕の骨折がそんなにかかるものか!あれからどれだけ経ったと思っておるのじゃ!」
竹蔵「だが現に腕は痛むんだ」
イト「そう思っておるからじゃ。モコ殿の下から離れたくないからじゃろ?」
竹蔵「それは……」
腕は痛い。確かに痛むんだ。
だが、いつもの俺なら確かにもう治っている頃だ。
イトの言うとおり、俺は治りたくないと心の中で思っていたのだろうか。
モコは俺を息子だと思っている。俺も一時の冗談のつもりで母親だと呼んだ。
それがいつの間にか普通になっていって、いつの間にかモコを本当の母親のように思っていった。
それくらい、俺はモコを身内のように、家族のように大切にしてしまっていたんだ。
イト「カオンの前例もあるからのう。おぬしが母親と認めたんじゃ。相当の思いがあろう」
竹蔵「だが、カオンのように連れて行くことはできん」
イト「そうじゃ。いつか別れがくる。おぬしのその思いは重き荷となるやもしれぬぞ」
竹蔵「母親と認めた相手だ。重くなんてねぇよ」
イト「しかしな?わしの想いはどうなる?どれだけカオンと心配したと思っておる?」
竹蔵「それは……すまなかった」
崖から落ちたんだ。死んだと思われてもおかしくない。
俺を見つけるまで、たくさん心配をかけてしまったに違いない。
イト「竹蔵はどうしたいのじゃ?一応、聞いてやろう」
竹蔵「なんだその言い方は?旅を続けるに決まってるだろ」
世界を見て回ること。イトの剣として強くなり続けること。どれも俺の望みだ。
しかしイトは何を察したのか、やれやれと首を振ってみせた。
イト「今はそれ以外の思いもあるじゃろう。ほれ、吐き出してしまわぬか」
竹蔵「見透かしやがって。なんだよ?ここでモコの息子として暮らしたいと言えばいいのか?」
イト「うむ。しかし、ダメじゃな。わしと共に行き、わしと共に生きよ竹蔵。それがわしの望みじゃ」
俺とイトの望みは同じだ。今も昔も、少しも変わっちゃいない。
そしてイトが言いたいこともわかる。
俺がここに残りたいと口にすることは今しかできないし、言わなきゃ後で絶対に後ろ髪を引かれるだろう。
それが分かった上でイトもしっかり否定してくれた。ありがたいことだ。
どうしてもモコと離れなければならないのもまた、運命か。
そうでなくては、俺は俺として生きていけない。
竹蔵「決心がついた。俺はここを出る」
イト「うむ!離れていても、心は繋がっておるものじゃ」
竹蔵「そうだな……」
口にするほど簡単なことでもないが、今はそう思わないとな。
イト「む?アレは誰じゃ?」
誰かこの家に向かってきていた。
人相の悪そうな男だ。
この辺りにはこの家しかない。ここに用がある人間だろうか。
男は俺たちの前までくるといきなり俺をにらみつけた。
??「なんだ?お前?ハイルじゃないのか」
竹蔵「ハイル?」
??「モコのババァの息子だよ。帰ってきたって聞いたから会いに着てやったのによう」
イト「竹蔵!」
どういうことだ?モコは俺が名乗ったら息子だとあんなに言っていたのに。
こいつが適当なことを言っているのか?
竹蔵「誰だお前?何のようだ?」
??「余所者は礼儀を知らんらしいな。俺はゲイノク様よ。ハイルには金を貸していたんだ」
イト「それはまことか?よくある難癖つけて利子が倍率ドン!更に倍になっておらぬか?」
ゲイノク「金貨五枚だ。この辺りじゃ金貸し以外が利子をつけたら罰せられる。正当な金額だ。
もっとも、ハイルはそれを路銀にして逃げちまったらしいがな」
イト「ふぅむ。それでは口は出せぬな」
竹蔵「モコはそのことを知っているのか?」
ゲイノク「ああ。息子の借金は母親が背負うべきだろ?だが目がほとんど見えないんじゃ稼ぎにもならん。
ハイルが帰ってきた今を狙ったんだが。こうなりゃ土地ごと家をもらうしかねぇやな」
イト「なんじゃとぉ~?そんなことしたらモコ殿はどうなるのじゃ!」
ゲイノク「知るか。悪いのはあの一家だ」
イト「だから何をしてもいいという考えは気に入らん!」
ゲイノク「俺は悪くない。悪いのはあいつだ」
イト「うぬぬぬ~!!」
もっともなゲイノクの意見に言葉を返せないイト。それも当然のことだ。
だがモコを追い出して土地を奪うのは賛同できない。
竹蔵「金なら俺が払う。それでいいだろう?」
ゲイノク「お断りだね。これだけ待って金貨五枚なら、土地と家を貰った方がいいに決まってる」
イト「そんな決定権がお前にあるのか!?」
ゲイノク「お前らはハイルでもモコでもない。他人だろ?なら口を出される筋合いはないね」
イト「もっともらしいことばかり言いおって~!」
竹蔵「モコは俺の母親だ。息子の俺が払う」
ゲイノク「いきなり出てきてなんだぁ?そんなの、お前が勝手にそう思ってるだけだろ?」
ここにきて初めて俺はヤツに怒りを覚えた。
モコは俺を息子だと言った。俺も母上と呼べるようになった。
これまで俺にいろいろよくしてくれた。俺も何かしてあげたいと思った。
俺とモコの中で芽生えた絆を、こんなやつに愚弄されてたまるか!
ゲイノク「モコもさっさと死んでくれたら、面倒がなくていいんだけどなー!」
イト「くぅ~その物言いは許せん!竹蔵!こらしめてやるのじゃ!」
あれだけ痛かったはずの左腕が、今では少しも痛まない。
やっぱり俺は、そこに甘えていたんだ。モコのそばを離れたくないばかりで……。
左手で斬貫刀の鞘を持ち、右手で柄を握った。
ゲイノク「お、おい!そんなことしたらお前ら全員警察に追われるぜ!モ、モコもだ!」
竹蔵「他人だと言ったのはお前だ。なら、これは俺個人の罪だ!」
斬貫刀を振り払い、鞘に納める。
ゲイノク「な、なんだ。脅しかよ……」
竹蔵「脅しだと?なんのことだ?」
ゲイノク「へ?」
カチンと音を響かせて斬貫刀を納刀すると、同時にゲイノクの服が斬れて微塵になった。
ゲイノク「げ、げぇええ!?」
イト「服代も払ってやる。文句があるならわしに言え!このモンドブルクの王女にのう!」
ゲイノク「な、なんだってぇ!?」
竹蔵「二度とここに現れるな。その減らず口が叩けなくなるぞ」
ゲイノク「はは、はい!もちろんです!金さえあればそれで!」
イト「お金大好きじゃのう」
ゲイノクはあたふたとこちらを何度も振り返りながら行ってしまった。
人から見たらあいつに非はないんだろう。俺は悪を断つ剣には成れなかった。
ただ家族を守りたかった。息子として。俺には剣を振るうことしかできないから……。
イト「大丈夫か竹蔵?」
竹蔵「ああ。いつまでもこのままってわけにはいかないからな」
俺は意を決して玄関の扉を開けた。
そこには嬉しそうにカオンを抱きしめるモコの姿があった。
この温かさだ。これを手放そうとしているのか、俺は……。
カオン「わーい!モコママー!」
カオンもすっかり懐いている。ここで暮らしていけたらと思ってしまう。
モコ「タケゾー?」
――けど、それも今日で終わりだ。
モコ「行くんでしょう?イトさんと、カオンちゃんと一緒に」
竹蔵「ああ。よく、わかったな……」
モコ「母は何でも知ってるの。そういうものなのよ」
竹蔵「いいのか?」
モコ「当たり前でしょ。あなたにはイトさんとカオンちゃんがいるの。
ここで暮らしていけたらそれは幸せだけど……それはダメ。
あなたの剣は誰かを幸せにする剣だものね」
――そんなことない。さっきだって俺は感情任せに振るっていた。
あんなもの、誰も幸せになんかできない。
モコ「私の息子はそうやって出て行った。信じるのが母の務めです」
本当の息子、ハイルのことか。やっぱりモコは気付いていたんだ。
ハイルの生死は不明だが、逃げ出したわけじゃないんだ。その事実に少し救われる。
竹蔵「それはハイルの……本当の息子の話か?」
モコ「何を言ってるの?タケゾー、あなたは私の息子よ」
竹蔵「俺にとっても、母上は母上だ。どんなに離れていても、それは変わらん」
モコ「この三ヶ月は、夢のよう、だったわね」
涙を見せまいと努めているのが痛いほどわかる。
俺の決心を鈍らせないために……。
竹蔵「この山の丘まで、竹蔵と、武神の二つ名が届いたら俺だと思え。
元々有名になる気などなかったが、母上に届くならそれもいい」
モコ「それを誇りに生きていきます。けど、さよならは言いませんよ」
竹蔵「ああ。また会うに決まっているからな」
そうして俺たちは家を出た。
これは別れじゃない。そう言い聞かせて……。
カオン「カオンもモコママと暮らしてみたいなー」
イト「まぁ~来世あるしのう」
竹蔵「簡単に言うな」
イト「何があるか分からぬ。絶対などなかろう?」
カオン「うん!今度は竹兄ぃと一緒にモコママから産まれるー!」
イト「わしもまた会うぞー!」
竹蔵「気楽でいいな……けど、それも悪くないか」
今はまだできることは限られているが。
それでも、母上のいうように誰かを幸せにできるというのなら、目指してみよう。
俺は今よりも、もっと強くなる。この剣に、限りなんてないはずだ。
この山の丘に住む、もう一人の母親に誓って……。
≪あとがき≫
竹蔵を自分自身に、剣を小説に置き換えると、他人事じゃないなと思えてきます。
できるかどうか。どこまでがそうなのか。考えることはいっぱいありますけど。
僕にももう一人母親がいるので、竹蔵のように頑張りたいと思います。
ちょっと長いですね。夢中になりすぎましたw
あー、そうそう。特にモデルとかありませんからw
PR
無題
これだけ書かれたの、久々な気もしますね♪
この"母親"との竹蔵にしてもそうですが、血が繋がっていなくても、そこに互いを想う価値観があれば、それは"肉親"と言い換えても良い気がしますね♪
しかし、イト姫は鋭く色々ついてきますね(苦笑)
Re:無題
こっちでは1シナリオに1バトルを書くという制約無かったはずなんですがw
イト姫今回はツッコミ役ですねw珍しいですw
肉親や身内というのは血の繋がりだけじゃないと思っているので。
本当に大切にしたいですね。